落語家の引退。

三遊亭円楽さんの引退表明のニュース、ちょっと驚いた。

落語家が引退を表明するって、あまりないんじゃないかなあ。

引退した噺家で私が知ってるのは、八代目桂文楽。

噺の途中、登場人物の名前をド忘れしたために「勉強してまいります」って高座を降りたきり、そのまま引退しちゃったっていう完璧主義者。その時だって表明や宣言なんてしたのかなあ…?

とにかく“引退”という形をとった人は少なくて、大抵歳をとって様々な理由から、自然と高座に立つ機会も減ってきてフェードアウト…という流れなんだと思う。

例えば、その文楽と対照的だった志ん生師匠なんかは、噺が聞き取りにくい状態なっても落語を演じていた。それでも聞きたい人がたくさん集まった。まあ、志ん生は酔っぱらって高座で寝てしまっても、お客さんがその寝姿を見て面白がって帰らないほど、特別愛された人ではだったんだけど。(左:文楽、右:志ん生)

個人的には、落語家さんてそう言うスタイルがいいと思う。お客さんに望まれるのであればね。だって落語ってもちろん話芸だから、その上手下手が一番大事だけど、それに付随してその人自身が大きく反映される芸。いくら上手でも“その人”を愛せなければファンはつかない。だから芸を見に行くだけでなく、その人からにじみ出る生き様や雰囲気も楽しみに行くと思う。だから、調子のいいときだって悪いときだってファンはその噺家が好きなもんだ。

だから、望まれているのに「これ以上恥をかきたくない。もう出ません。」みたいに言ってしまうのは、個人的に抱く噺家像としては残念な感じ。ただ、体調のせいで思うように話せなくなったのは、それを生業とする“噺家円楽”にとって計り知れない辛さだと思う。でもそれはこれまでの噺家さんも歳をとれば通過しただろうこと。だから、これはご本人の噺家としてのスタイルなんでしょうね。

自分の納得いくものを見せられなければ、お金をとるわけにいかない、というのは尤もではある。ケジメが良い、引き際が潔い、といえばその通りだと思うし、自分のためにした自分のための引退宣言なんだなと思った。

---ちなみにそれを言うなら、決して非難して言うわけではないんだけど、今年真打昇進するきくおが二代目木久蔵になるけど、その父、林家喜久蔵さんは近頃ホントに口が回らなくなって心配だ。でも、あの人が高座に出てくるとなんだか自然とこっちの顔も緩んでしまう、愛すべきキャラクターだ。---

円楽さんのファンはたくさんいる。年を取って変わっていく円楽さんの噺を聞きたい人もたくさんいる。だから残念なことなんだけどだなあ。長い間お疲れさまでした。

アトリエ小びん

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