第五回 飛鳥山薪能

パノラマにしてみたら小さくてよく見えないか…。

王子にある飛鳥山公園に設けられた仮説の能の舞台だ。舞台間近の袖席から見た風景だが、正面の観客席の人の数が見えるだろうか。1000人以上の観客でいっぱいだった。この日は、雨という天気予報をよそに、晴れた空に月が浮かび、秋の虫が涼しげに鳴き、時々抜ける風はすがすがしく、薪能のために演出された夜のようで、約2時間、これだけの人がシンと静まり返って鑑賞に集中するだけの、最高の条件が揃ったように思われた。開会の儀式が終わり、灯がともされたとたん、舞台は幻想的な空気に包まれた。

まず、今年7月に人間国宝となられた野村万作さんと野村萬斎さん親子の狂言「樋の酒」から始まった。主人の留守中に酒蔵を守るように申し付けられた2人の冠者が、我慢できずに蔵の酒を盗み飲んでしまい、酔ったところで主人が戻って来て怒られる、というお話。動きがユニークで話もわかりやすく落語的で面白かった。もっと敷居の高いものと思っていたので意外だった。

休憩を挟んで後半は、能「葵の上」。

源氏物語の一部を題材としたもので、光源氏の正妻である葵上が病床に伏しているところへ、光源氏の愛人だった六条御息所が恨みを抱く怨霊となって現れ、葵上を連れ去ろうするが、横川小聖の法力により成仏して去っていくというお話。

こちらは想像していた通り、動きも少なくゆっくりで、なによりストーリーを説明する「地謡」も、面を被った演者たちも、なんと歌っているのか全然わからないので、どうしたって眠くなってくる。とはいえ、今回は初めてだったし、ストーリーや演者などを紹介したものが手元に配られていたので、なんとか眠らずに鑑賞できた。解説を読んで、セットや説明的道具がない一枚の板の上で、様々な状況を表現する方法が非常に繊細で、よく考えられていることを知り、日本らしい表現だなと感心した。

以前一度、能面を顔にかぶせてみたことがあるが、非常に視野の狭い息苦しいもの。これをつけて1時間もの間中腰で、摺り足で微妙に動いてみたり歩いたり、謡ったり…その脇では終始正座でジッとそこにいることが演技である役目がいたり、見る方も演じる方も非常に辛抱のいるものだなと思った。

それにしても、日本には素晴らしい文化があると思った。こうしたイベントでは遠くからも見えるよう、照明も使って舞台を照らしているが、薪の明かりだけで舞台を見ていた昔、非常に雰囲気があって、能面の怪しい美しさや恐ろしさがもっとリアルに感じられたんだろうなと思う。

アトリエ小びん

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